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バングラデシュの歴史

はじめに: lonly planet 「Bangladesh」の歴史の部分を自分なりに訳し、メルマガで紹介したものを掲載しています。

メルマガ掲載時に、「パキスタンを悪者にしている」との批判メールを1通いただきましたが、管理人の偏見等は一切入っておりませんので、ご了承ください。

独立前の政治背景

このころ、パキスタンを動かしていたのは、アユーブ・カーンや、ヤヒア・カーンなどの軍事政権。2人とも、東パキスタン(現在のバングラデシュの領地)で、大量殺戮など、残酷なことを行いました。そんな中、ムスリム一辺倒の抑圧政治を強制していた与党、ムスリムリーグに対抗して、「東パキスタン・アワミ(人民の)・ムスリム・リーグ(現在のアワミ・リーグ)」が結成(1949)され、1966年には、6項目の要求を基本にして、東パキスタンの自治権を要求しました。
6項目とは、独自の通貨使用、政権の民主化などを含む、よりよい統治のための要求。この運動の中心となったのは、現在のアワミ・リーグ党首、シェークハシナのお父さんである、ムジブル・ラフマン(シェーク・ムジーブ)でした。この動きに対して、パキスタン政府は、インドと結託した反政府運動であるとして、ムジブル・ラフマンらを逮捕したのでした。これが、いわゆるアガルタラ(インドの地名)事件と呼ばれるものです。そして、1970年12月7日。パキスタン独立後、初の下院選挙において、アワミリーグは、前例のない、圧倒的な勝利を収めました(300議席中167議席獲得)。 この選挙を境に、人々は、6項目要求を強力に支持するようになりましたが、ヤヒア・カーン政権は、かたくなに項目を拒否したまま。独立への交渉と戦いが、始まったのです。

独立戦争突入

その後、カーン大統領は、この受け入れがたい事実を前に、議会召集を延期していました。大統領のかたくなな態度に反抗して、東パキスタンでは暴動やストライキが起こるようになりました。この騒ぎを鎮めるために、パキスタン軍が派遣され、チッタゴンでは、市民と軍隊の衝突が起こり、55人のベンガル人が死ぬことになりました。 1971年3月、シェーク・ムジーブとの会談のあと、カーン大統領は、極秘に西パキスタンに戻っていきました。パキスタン軍は、東パキスタンにおいて、暴虐行為を行うようになっていきました。村々は焼かれ、店や家からは、略奪が起こり、大勢の市民が殺されたのです。 ダッカのロムナパークにおいて、1971年3月25日集会が行われました。この場において、シェークムジーブは、東パキスタンの独立を宣言しました。 バングラデシュは、事実上、この瞬間に誕生したといえます。」ムジーブはその後、パキスタン政府によって逮捕され、西パキスタンの監獄に入れられました。この事件によって、東パキスタンの反逆心に火がついたのです。独立側の、バングラ自由戦士、ムクティ・バヒンが、チッタゴンラジオ局を占領し、ムジーブから指示を受けていたジアウルラフマンは、新しい国家の誕生をラジオを通して宣言し、パキスタン軍に対抗して立ち上がるよう呼びかけました。 カーン大統領は、反逆を鎮圧すべく、軍隊を増やし、応戦しました。戦争は、短い期間ですが、血まみれの戦争でした。パキスタン軍のティッカ・カーン軍曹は、残忍な殺し屋軍曹として有名な人物でした。彼は、シェーク・ムジーブ率いる独立軍を抹殺するために、指揮をとり、ムクティバヒニ(バングラ自由戦士)と、その他、知識階層やヒンドウ教徒のような人々は、破壊分子として、機械的に大量殺戮の対象となりました。いくつかの東パキスタン軍(独立側)らしきものが作られましたが、数の面でも圧倒され、援助もない状態でした。 6月には戦いはゲリラ戦になり、市民はムクティバヒニに、加わるようになりました。全土では、パキスタン軍の戦法は、ますます残酷になり、村ではナパーム弾が使われたりしました。

139番目の独立国家

終わりは突然やってきました。インド軍が国境を越え、12月7日にジェソールを解放し、ダッカを取り戻す準備をしました。西パキスタン軍は、西からインド軍に、北と東からはムクティバヒニに、すべての地域は市民によって攻め込まれました。そして、インドの司令官オロラは、パキスタン軍にこう呼びかけました。「親愛なるアブドゥッラー、私はここにいる。ゲームは終了だ。降参したらどうかね。」 12月14日には、インド軍の勝利は確実になり、パキスタン軍曹ニアジは降服宣言に調印しました。そして、バングラデシュは139番目の独立国家として出発したのでした。


  • 管理人

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