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リキシャ伝播の由来

公開日: : 最終更新日:2014/11/03 リキシャ豆知識

リキシャは、バングラデシュ都市部の主要交通機関である。国内道路事情の向上に伴い、地方でも同じように利用されるようになった。


リキシャが最初に登場したのは、20世紀初頭の日本といわれている。第二次世界大戦後には、動力化された交通手段に取って代わり、
1950年頃には、日本からは姿を消してしまった。
1930年には、インドネシアやシンガポールなど、東南アジア諸国に登場し始めた。バングラデシュには、1919年、
ミャンマーから入ってきたといわれている。このときには、ダッカまではで伝播しなかった。
ダッカのリキシャは、1930年ごろ、カルカッタ(現コルカタ)から伝わったという。
ナラヤンゴンジやマイメンシンなどに住んでいた欧米のジュート輸出業者は、個人利用の目的で、
1938年にカルカッタからリキシャを輸入したという。それまで、馬車や運河船を使用していたダッカ市民にとって、
新しい乗り物の到着は好奇心の的になった。

1941年の時点では、ダッカには37のリキシャしかなかった。1947年には181になった。1947年以前のダッカは、
1951年の記録で人口62469人の一地方の町でしかなかった。しかし、1998年には、人口は800万人に膨れ上がり、
リキシャの数も11万2572台にまでなった。その年の都市部のリキシャは27万4265台、村部では9万1040台であった。一般的に、
実際のリキシャの数は、登録されているものの25倍といわれており、
2000年には少なくても28万台があると想定されている。ダッカでは、朝晩交代制でリキシャをひいており、
リキシャ引きとして3百万人が生活の糧にしているといわれている。
東南アジア諸国とは違い、バングラデシュのリキシャはいまだに人力(足力?)で走っている。(正確には自転車だが、電動ではないという点で、
と思われる)
全交通手段の中で、リキシャの締める割合は、ダッカは49%、シレットは78%、クミラは80%、ラングプルは55%となっている。
日本の人力車についてはこちらを参照のこと。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A

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