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    <title>バングラデシュものごと大事典</title>
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    <updated>2006-01-21T16:41:13Z</updated>
    <subtitle>管理人の主観に基づいたバングラデシュに関する用語の解説集です。</subtitle>
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    <title>イードゥ・ウルフィトゥル</title>
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    <published>2006-01-21T16:41:13Z</published>
    <updated>2006-01-21T16:41:13Z</updated>
    
    <summary>ラマダーンが終わった後のお祝い。 </summary>
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        <![CDATA[<p><span class="text"><font size="2">ラマダーンが終わった後のお祝い。
</font></span></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">もともとは、より貧しい人に、施しを与える日（休日は3日間だが、
正確にいうと15日がその日にあたる）。お金は、神が所有するものなので、分け与えるべきとされている。</font></p>]]>
    </content>
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    <title>ジュマトゥルビダ</title>
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    <published>2006-01-21T16:39:45Z</published>
    <updated>2006-01-21T16:39:45Z</updated>
    
    <summary>ラマダーン月の最後の金曜日。</summary>
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    </author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-jaban.com/term/">
        <![CDATA[<p><font size="2">ラマダーン月の最後の金曜日。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">ジュマは金曜日。ビダはさようならの意味。1年のうちで、ラマダーン月の金曜日は、
普段にも増して聖なる日。罪を清算するべく、ムスリムは懸命に祈りをささげる。</font></p>]]>
    </content>
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    <title>ムハラム、アシュラ</title>
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    <published>2006-01-21T16:36:58Z</published>
    <updated>2006-01-21T16:36:58Z</updated>
    
    <summary>ムハンマドの孫であるハサンとフサインが殺された日。 </summary>
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    </author>
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        <![CDATA[<p class="text"><font size="2">ムハンマドの孫であるハサンとフサインが殺された日。
</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">ム八ラムはペルシャ語、アシュラはアラビア語。この日の意味合いは、
スンニ派とシーア派でかなり違うようだが、､ムハラムは</font><a href=
"http://www.e-jaban.com/lang/media/file_20060122T014942679.htm"><font color="#12AD2B"
      size="2">ヒジュラ暦</font></a><font size="2">第一月を指し、アシュラは、
      ムハラム月の１０日目を指す。</font></p>]]>
    </content>
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    <title>ドゥルガプジャ</title>
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    <published>2006-01-21T16:34:35Z</published>
    <updated>2006-01-21T16:34:35Z</updated>
    
    <summary>ドゥルガという女神の復活を祝うヒンドゥ教最大の祭り。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-jaban.com/term/">
        <![CDATA[<p><font size="2">ドゥルガという女神の復活を祝うヒンドゥ教最大の祭り。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">ドゥルガは、サンスクリット語で「不可解か、達することが困難である彼女（she=女神と思われます）
」、プジャはだんなによると、「勝利」を意味するようです。</font></p>
<p><font size="2">名前からもわかるように、もともとは、7日間の激闘の末、
ドゥルガが悪魔に勝利したことに由来するとか。</font></p>
<p><font size="2">ドゥルガは、女神とはいえ、戦士として知られ、偶像は、ライオンを従えて、手がたくさんあります。
通常は10本、時にはそれ以下、最大では20本の手がかかれることがあるようです。インド等、他の場所では、Adyashakti、
Mahamaya、Shivani、Bhavani、Dashabhuja、Singhavahanaとも呼ばれます。
日本人にもなじみ深い、シバの妻であり、ガネーシャの母親にあたります。</font></p>
<p><font size="2">バングラデシュでは、5日間続き、主要な行事は、Mahasaptami、Mahaastami、
Mahanav（ｂ）amiと呼ばれます。Mahasaptamiは、サンスクリット賛美歌を歌い、女神が悪魔に勝利したことを称えます。
Mahaastamiは女神が子供たちを携えて、あの世からこの世へ降臨します。信者たちは、独特のドラム等ならして、盛大に迎えます。
最終日にあたるMahanavamiでは、偶像は川に流され、信者たちは涙で別れを惜しみます。またあの世へ戻っていくというわけですね。
</font></p>
<p><font size="2">バングラペディアの動画によると、男性が煙を発する壺をもって、
壺をくねらせながら動く様子がありましたが、いつの儀式に当たるのかはわかりません・・・。</font></p>
<p><font size="2">もっと詳しく知りたい！　という方は、<a href=
"http://www.durga-puja.org/"><font color=
"#018201">http://www.durga-puja.org</font></a>を参照してください。
</font></p>]]>
    </content>
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    <title>ラマダン</title>
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    <published>2006-01-21T16:28:15Z</published>
    <updated>2006-01-21T16:28:16Z</updated>
    
    <summary>ラマダン＝断食とイメージしてしまいますが、実際は、断食を意味する単語ではなく、ヒジュラ暦での月の名前です。</summary>
    <author>
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    </author>
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        <![CDATA[<p><font size="2">ラマダン＝断食とイメージしてしまいますが、実際は、断食を意味する単語ではなく、
ヒジュラ暦での月の名前です。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">上記の説明のように、ラマダンはヒジュラ暦９番目の月。</font></p>
<p><font size="2">原義は「焼け付くような熱、暑さ（scorching heat）」というらしいです。
</font></p>
<p><font size="2">数ある月の中でも、聖なる月とされますが、コーランの内容が啓示され始めた月でもあります。
</font></p>
<p><font size="2">大学時代購入した平凡社のイスラム事典によると、ラマダン→断食は以下のように定義されています。
</font></p>
<p><font size="2">「イスラムのイバーダードのひとつで、五柱（六信五行）の第４にあげられる信者の義務。
ムハンマドはメディナのヒジュラの直後、ユダヤ教徒の制度にならって、アシューラーを断食の月と定めたが、バドル戦の後、
ラマダーン月を断食の月とした。イスラム教徒はこの１ヶ月間、日の出から日没まで一切の飲食を禁じられ、つばを飲み込むこと、喫煙、性交、
意図的射精も許されない。ただし、病人、身体虚弱者、妊婦、授乳中の婦人、旅人、戦場にある兵士などは除外されるが、最初の３者のほかは、
原則として後日に埋め合わせをしなければならない。・・・・・・」</font></p>
<p><font size="2">（語注：
<br />
イバーダード＝「崇拝」「服従」を意味するアラビア語イバーダの複数形。神への奉仕にかかわるものを指す。
<br />
アシューラー＝ヒジュラ暦１月の第１０日目。
<br />
バドルの戦い＝ヒジュラ後、ムハンマドがメッカのクライシュ族を破った戦い。最初の本格的な戦いであり、
メディナでの政治的立場を強めることになった戦い。）</font></p>
<p><font size="2">断食の意味ですが、クルアーン（コーラン）のal-Baqarat詩１８３の部分に、
アラビア語でいうところの「taqwa」を高める目的があると記述されているようです。「taqwa」とは"Worshiping God
as if you see Him because if you don't, He sees you." ということです。
</font></p>
<p><font size="2"><br />
訳す自信がないので、この辺にしときます（笑）。</font></p>]]>
    </content>
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    <title>ヒジュラ暦(イスラーム暦)</title>
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    <published>2006-01-21T16:22:34Z</published>
    <updated>2006-01-21T16:22:35Z</updated>
    
    <summary>ヒジュラ暦が正式名称のようですが、別名イスラム暦ともいいます。</summary>
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    </author>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-jaban.com/term/">
        <![CDATA[<p><font size="2">ヒジュラ暦が正式名称のようですが、別名イスラム暦ともいいます。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">イスラム教社会で使われる暦法で、太陰暦です。西暦を略してＢ．Ｃ．と表記しますが、
ヒジュラ暦はＡ.Ｈ.と表記されることもあります。（Anno Hijrae（「ヒジュラ後」）
<br />
<br />
この暦の設定された起源は、イスラム教の起源となった預言者ムハンマドが、メッカからメディナへ移住、つまりヒジュラ（ヘジラ）
したことによります。
<br />
<br />
ヒジュラ暦も、西暦と同じく、１２ヶ月でなりたっています。
<br />
<br />
第1月　ムハッラム　30日
<br />
第2月　サファル　29日
<br />
第3月　ラビーウ＝ル＝アウワル　30日
<br />
第4月　ラビーウッ＝サーニー　29日
<br />
第5月　ジュマーダー＝ル＝ウーラー　30日
<br />
第6月　ジュマーダー＝ル＝アーヒラ　29日　（ジュマーダーッ＝サーニーとも）
<br />
第7月　ラジャブ　30日
<br />
第8月　シャアバーン　29日
<br />
第9月　ラマダーン　30日
<br />
第10月　シャウワール　29日
<br />
第11月　ズー＝ル＝カアダ　30日
<br />
第12月　ズー＝ル＝ヒッジャ　29日または30日
<br />
<br />
ごらんのように、１ヶ月の長さが、３０日と２９日交互に出てきます。1年間が354日（３５５日）なので、
太陽暦より１０日以上少ないですね。、1年ごとに11日ぐらいずつ、太陽暦とずれていくことになります。
<br />
<br />
一応、月齢とのずれを調節するために1日を増やす閏年は30年に11回あるそうです。西暦のように、４年に１回という感じではなく、
ヒジュラ暦の年教を30で割って余りが2・5・7・10・13・15・18・20・24・26・29に該当すれば閏年ということらしいです。
</font></p>]]>
    </content>
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    <title>シェーク・ハシナ</title>
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    <published>2006-01-21T15:49:03Z</published>
    <updated>2006-01-21T15:55:08Z</updated>
    
    <summary>1947年9月28日、ダッカ・ディビジョン（行政区分：日本でいう地方に当たる？）内のゴパルゴンジ・ディストリクト（県にあたる？）で、ムジブル・ラーマンの長女として生まれました。</summary>
    <author>
        <name>mattetekero</name>
        
    </author>
            <category term="0000010 person" />
            <category term="120 shi" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-jaban.com/term/">
        <![CDATA[<p><font size="2">1947年9月28日、ダッカ・ディビジョン（行政区分：日本でいう地方に当たる？）
内のゴパルゴンジ・ディストリクト（県にあたる？）で、ムジブル・ラーマンの長女として生まれました。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">彼女は、学生時代、大学生連盟の副連盟長に選ばれています。女性の地位が低　いこの国で、
そうした実績があるということは、かなりのカリスマ性等、あっ　たのでしょう。しかも、最終学歴は、ダッカ大学。
学業も優秀であったようです。
<br />
　
<br />
その後、彼女は核化学者であるMA Wazed Miah博士と1968年に結婚しました。
<br />
　
<br />
1981年、アワミ連盟の党首に就任（それ以後、変わらず）。
<br />
　
<br />
1983年には、軍事独裁政治を行っていたエルシャド大統領に対抗して、15の政党をまとめ、政治連盟を結成。
<br />
　
<br />
1991年には、アワミ連盟は、2番目に大きな野党に成長しています。
<br />
　
<br />
1996年6月23日、バングラデシュの首相に就任。
<br />
　
<br />
1996年11月、インドとのガンジス河水共有条約締結、1997年12月、チッタゴン丘陵地域和平協定署名、食用穀物生産増加達成の成功、
多くの国々との相互の関係の改善、ジャムナ橋（ボンゴボンドゥジャムナ多目的橋と命名）の完成等、多くの功績を残し、
世界の各主要機関から表彰を受けています。
<br />
　
<br />
2001年10月1日に行われた第8の国会の選挙では、BNP（現与党）主導の4党連合が3分の2の議席を獲得し、退陣となりました。
<br />
　
<br />
が、首相を退いた今でも、現首相に対抗して、日々激しい攻防戦を繰り広げています。</font></p>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>カレダ・ジア首相</title>
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    <published>2006-01-21T15:45:04Z</published>
    <updated>2006-01-21T15:45:05Z</updated>
    
    <summary>Begum Khaleda Zia。 カレダ・ジア首相。</summary>
    <author>
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    </author>
            <category term="0000010 person" />
            <category term="060 ka" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-jaban.com/term/">
        <![CDATA[<p><font size="2">Begum Khaleda Zia。</font></p>
<p><font size="2">カレダ・ジア首相。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">名前の前についている、ビーガンは英語で「貴婦人」の意味ですが、要職についている人に、
つけられることが多いようです。</font></p>
<p><font size="2">間違っても、ベーグンと読まないようにしなければなりません。というのも、ベンガル語でベーグンは
「なす」を意味するからです。</font></p>
<p><font size="2">私も最初は英語知らなくて、ベーグンと読んでいました・・・・。</font></p>
<p><font size="2">1945年、8月15日、ディナスプールのビジネスマン街に生まれています。おお、終戦の日ですね。
</font></p>
<p><font size="2">15歳のときには、ディナスプールの女学校に入学しますが、なんと同年、
夫となるジアウルラーマンと結婚。</font></p>
<p><font size="2">早すぎますね～。</font></p>
<p><font size="2">1981年、5月30日にジア（夫）は暗殺され、36歳のときに未亡人になってしまいます・・・・。
</font></p>
<p><font size="2">その後、ジアが立ち上げた、bangladesh nationalist party （BNP）
は当時の党首が裁判沙汰になるなど、危機を迎えます</font></p>
<p><font size="2">支持率が急低下したBNP、中心者たちは、なんとか勢いを取り戻そうと、策を練りました。
</font></p>
<p><font size="2">そこで、白羽の矢が当たったのが、妻である、カレダ・ジアだったのです。</font></p>
<p><font size="2">ジアの名声や人気を相続できること、みた目の気品高さ、彼女に対する同情票などを利用して、
周りの人は、彼女をBNPの党首として見事、仕立て上げました。1984年、5月10日のことでした。</font></p>
<p><font size="2">彼女はリーダーとして、7つの政党と連合を組み、当時の独裁政権に対抗し、
ついにBNPをNo,1政党として復活させ、1991年3月20日、バングラデシュ初の女性首相に選ばれました。</font></p>
<p><font size="2">在任中は、初等教育の無償化、義務化、また10学年（16歳）までの女学生の無償教育化等、
特に教育の分野に力を入れてきました。</font></p>
<p><font size="2">1996年まで首相を務め、その後、再び2001年から現在まで、首相の位置を守っています。
<br /></font></p>]]>
    </content>
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    <title>シェーク・ムジブル・ラーマン</title>
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    <published>2006-01-21T15:42:05Z</published>
    <updated>2006-01-21T15:42:05Z</updated>
    
    <summary>ボンゴボンドゥ（ボンゴ＝バングラデシュ、ボンドゥ＝友）の名で、称えられる、シェーク・ムジブル・ラーマン。アワミリーグ党首シェーク・ハシナの父親でもあります。 彼の人生は、バングラデシュの歴史と共にあるといってよいでしょう。 </summary>
    <author>
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    </author>
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            <category term="120 shi" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.e-jaban.com/term/">
        <![CDATA[<p><font size="2">ボンゴボンドゥ（ボンゴ＝バングラデシュ、ボンドゥ＝友）の名で、称えられる、シェーク・ムジブル・
ラーマン。アワミリーグ党首シェーク・ハシナの父親でもあります。
<br />
彼の人生は、バングラデシュの歴史と共にあるといってよいでしょう。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">１９２０年、３月１７日、ゴパルゴンジのトゥンディポラという村に生まれました。彼の父親は、
ゴパルゴンジの民事裁判所の裁判官（当時の階級がちょっと不明なので、あるいは職員かもしれません）だったようです。
</font></p>
<p><font size="2">カルカッタの名門、イスラミア大学に入学、大学連盟の書記長に選ばれます。このころから、
リーダーとしての才覚を発揮していたのですね。</font></p>
<p><font size="2">彼の具体的な政治生命は、1949年アワミ・
スラム教徒連盟の共同秘書としての選挙参加からスタートします。が、その一方で政治犯として拘留されるなどの側面も。
1953年には東のパキスタン・アワミ・イスラム教徒連盟の書記長に選ばれ、組織強化のために没頭し、1954年には国会デビュー、
1966年には党首となります。</font></p>
<p><font size="2">彼は、有名な6項目要求（独自の通貨使用、政権の民主化などを含む東パキスタンの自治権要求）
をパキスタン政府に突きつけました。この頃には、彼の影響力は国家的なものとなり、多くの人々を扇動し、現政権を揺さぶるほどになりました。
彼の力を恐れ、2回に渡って投獄しました。これがアガルタラ事件と呼ばれるものです。</font></p>
<p><font size="2">が、彼が監獄の中にいようとも、彼に対する民衆の支持は強大なものとなり、民衆の反対によって、
政府は彼を解放せざるを得ない状況に追い込まれたのです。
<br />
解放後、民衆は彼にボンゴボンドゥの称号を与えました。</font></p>
<p><font size="2">ムジーブは、のべ12年間の監獄生活の経験で、パキスタン支配下の10年間は、母国というよりも、
監獄のようであると感じ、1971年1月3日に、彼は東パキスタンの代表とラムナ公園で厳粛な式を執り行い、
6項目要求の考えに反しない宣言を行ないました。</font></p>
<p><font size="2">3月7日ラムナ公園での演説を経て、25日の深夜の「この戦いは、われわれの救いのためであり、
自由のためである」に要約される、歴史的な演説によって、解放戦争の火蓋が切って落とされました。歴史の項で触れたように、この直後、
彼は再び投獄されるわけです。</font></p>
<p><font size="2">彼が再びダッカの地を踏んだのは、1971年12月16日のバングラデッシュの解放後、
しばらくたった1972年1月10日のことでした。</font></p>
<p><font size="2">独立後、彼と民衆を待っていたのは、過酷な現実でした。
飢えを始めとする何百万の問題が立ちはだかっていました。</font></p>
<p><font size="2">治安状況を復活させるために、ロッキ・バヒニ（ロッキ＝防衛、バヒニ＝戦士）を組織しましたが、
この作戦は失敗に終わり（ロッキ・バヒニ自体も治安を悪化させるようなことをしたといわれる）、彼の支持率は激減しました。その後、
新しく政党を作り、政界を刷新しようとした彼でしたが、裏目に出るばかり。</font></p>
<p><font size="2">軍事冒険者のグループは、彼の不安定な状況につけ込み、1975年8月15日、
彼とその一家を皆殺しにしました。</font></p>
<p><font size="2">かろうじて２人の娘は、留学のため国外に滞在していたので、難を逃れたのです。そのうちの一人が、
シェーク・ハシナ党首でした。
<br /></font></p>]]>
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    <title>タゴール</title>
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    <published>2006-01-21T15:36:53Z</published>
    <updated>2006-01-21T15:36:54Z</updated>
    
    <summary>インドが生んだ詩聖タゴールの142回目の生誕年には、タゴールTシャツなるものも発売され、にぎわいました。</summary>
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        <![CDATA[<p><font size="2">インドが生んだ詩聖タゴールの142回目の生誕年には、タゴールTシャツなるものも発売され、
にぎわいました。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">インドの人なのに、なんでバングラの人まで、こんなに熱狂するの？？？と思ったら、
バングラデシュ国歌の作詞作曲を手がけていたんですね。忘れてました。
<br />
　
<br />
タゴールは、1861年生まれ。お父さんは、社会改革で名高いラームモーハンローイ（ヒンドゥ教徒とイスラム教徒の融合、未亡人制度
（夫が死亡した場合、妻も一緒に火葬する制度）や幼児婚の禁止などをはじめた）の弟子で、なんと、モホルシ（モハ（great）＋ルシ
（Saint)）と呼ばれた聖者なんです。血統がいいんですね。
<br />
　
<br />
タゴールは、詩聖としてよく知られていますが、音楽・戯曲・小説・絵画・思想・哲学など、幅広く才能を発揮し、
アジア人最初のノーベル賞受賞者です。
<br />
　
<br />
<br />
コルカタ近郊のシャンティニケタン（シャンティ＝平和、ニケタン＝家）に、現在のタゴール国際大学の原型を設立したといいますが、
もうひとつ、おじいさんの代から建設が始まった大学もあるということです。（正確な情報は、調査中です。）ともかく、
より高度な教育施設のために、ノーベル賞で得たお金をすべて投入したといいます。</font></p>]]>
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    <title>ムハンマド・ユヌス</title>
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    <published>2006-01-21T15:33:37Z</published>
    <updated>2006-01-21T15:33:37Z</updated>
    
    <summary>ユヌス氏は、マイクロクレジットを生み出し、広めたことであまりにも有名です。現在はグラミンバンクの総裁として、広く社会に貢献していますが、２年ほど前、日経アジア賞を受賞し、来日したことは、記憶に新しいです。 </summary>
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        <![CDATA[<p><font size="2">ユヌス氏は、マイクロクレジットを生み出し、広めたことであまりにも有名です。
現在はグラミンバンクの総裁として、広く社会に貢献していますが、２年ほど前、日経アジア賞を受賞し、来日したことは、記憶に新しいです。
</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">マイクロクレジットを直訳すると、小口融資。貧しい女性たちに無担保で融資し、
経済基盤を作る手助けをするものです。</font></p>
<p><font size="2">経済学者として米国への留学経験もあるユヌス氏ですが、若き頃、富める者は更に富み、
貧しい者はさらに貧する社会の状況に疑問をもっていました。中流階級でありながら、
貧困層に対して配慮を怠らなかった母親の影響が大きいようです。</font></p>
<p><font size="2">あるとき、ユヌス氏は貧困層の家庭を訪問していました。このとき、マイクロクレジットの発祥となる、
女性グループとの出会いがあったのです。</font></p>
<p><font size="2">彼女たちは、竹細工作りと販売を手がけ、経済活動をしていたグループでした。資金がないために、
高利貸しから資金を調達し、家族ともども1日1食もままならないほど、返済に苦しんでいたのです。
見かねたユヌス氏は自分の財布から約3000円を取り出し、無利子無担保で貸しました。</font></p>
<p><font size="2">それからというもの、自分が今まで築いてきた地位も名誉も投げ捨て、資材すべてをなげうって、
貧困救済のため、小口融資を続けてきました。</font></p>
<p><font size="2">結果は見事、全額返済。</font></p>
<p><font size="2">依然として民間の銀行は貧困層に冷たく、無担保で融資はできないという姿勢でした。
2年間で得た実績に自信を得たユヌス氏は、1983年、貧困層のための銀行、グラミンバンクを設立したのです。グラミンとは、ベンガル語で、
村を意味します。</font></p>
<p><font size="2">それから20年、マイクロクレジットは60カ国以上で採用され、
ユヌス氏はノーベル平和賞候補者に名前があがるほどの功績を残しました。</font></p>
<p><font size="2">趣味と呼べるものは、まったくない。</font></p>
<p><font size="2">そういいきるほど、貧困撲滅にその人生をかけて来た、人物なのです。</font></p>]]>
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    <title>ジアウル・ラフマン(ラーマン)</title>
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    <published>2006-01-21T15:31:29Z</published>
    <updated>2006-01-21T15:31:29Z</updated>
    
    <summary>5月30日は、BNPの創設者であり、バングラデシュの4代目大統領であり、現首相 カレダ・ジアの夫である、ジアウル・ラフマンの追悼日です。</summary>
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        <![CDATA[<p><font size="2">5月30日は、BNPの創設者であり、バングラデシュの4代目大統領であり、現首相
<br />
カレダ・ジアの夫である、ジアウル・ラフマンの追悼日です。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">彼は、独立戦争当時、パキスタン国家の軍人でありました。チッタゴンに責任を
<br />
持っていた彼は、港に次々と武器が輸送されてくる状況を目の当たりにし、「こ
<br />
の武器で同郷人が殺されるのだ」と、突然目覚め、自分の地位を捨て、独立軍に
<br />
参加するようになったのでした。</font></p>
<p><font size="2">独立後、政権は不安定で、クーデターが相次ぎました。バングラデシュにおいて
<br />
も、しばらくは軍の統率者として貢献していたジアですが、軍人による権力争い
<br />
の中、1977年4月21日に、ジアは大統領の座を勝ち取り、前後してBNP（Bangladesh
<br />
Nationalist Party）を設立しました。</font></p>
<p><font size="2">ジアの政治は、民政化を図りつつも、独裁制に近い体制でありました。しかし、
<br />
評価すべき彼の偉業は、誕生間もない、バングラデシュを国際舞台に押し上げ、
<br />
第三世界の政治において、バングラデシュの役割を確固たるものにしたことにあ
<br />
ります。</font></p>
<p><font size="2">生前は、なかなか功績が目に見える形で現れませんでしたが、後、SAARCにおい
<br />
て彼の望んでいたことが、結実されたといえます。</font></p>
<p><font size="2">1981年、5月30日、夜明け前、チッタゴンにおいて彼は暗殺されました。</font></p>]]>
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    <title>カジ・ヌズルル・イスラム</title>
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    <published>2006-01-21T15:28:33Z</published>
    <updated>2006-01-21T15:28:33Z</updated>
    
    <summary>彼は、タゴールと並ぶ、文化創造の旗手。77歳でこの世を去りましたが、詩人としてのみならず、映画、演劇、音楽、ダンスの創作を手がけたといいます。</summary>
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        <![CDATA[<p><font size="2">彼は、タゴールと並ぶ、文化創造の旗手。77歳でこの世を去りましたが、詩人としてのみならず、映画、
演劇、音楽、ダンスの創作を手がけたといいます。</font></p>]]>
        <![CDATA[<p><font size="2">独立直後のバングラデシュ。</font></p>
<p><font size="2">想像できるでしょうか？　すべての面で貧しい国家の中でも、彼は、人間性をテ―マにして、
人々の心に命を吹き込もうとしたのです。</font></p>
<p><font size="2">タゴールが良家の出身だったのに対し、イスラムの生まれ育った環境は、下層階級。幼い頃に父を亡くし、
家計を助けるために、小さな食堂で、パンをこねる毎日でした。</font></p>
<p><font size="2">普通だったら、そうした下層労働者は、文字も読めないのが普通です。</font></p>
<p><font size="2">でも、彼は違いました。わずかな時間を縫うようにして、本を読みつづけたのです。
</font></p>
<p><font size="2">神様は、そんな崇高な心を持つイスラムを、愛したのでしょう。</font></p>
<p><font size="2">毎日来る、近くのホテル駐在警察官が、イスラムの姿を見て、「学校には行ったのか？」と質問し、
そうでないことを知ると、彼は自分の故郷につれて帰り、学校に通わせました。</font></p>
<p><font size="2">この警察官こそが、イスラムの第二の生みの親といってもいいかもしれません。</font></p>
<p><font size="2">成長した彼は、第二次大戦下でイギリス兵として活躍しましたが、戦時下であっても詩を作り続けました。
</font></p>
<p><font size="2">天性の画家は、かき続けないと気が狂う。それが、芸術家といいますが、
彼も生まれつきの文学者だったのでしょう。</font></p>
<p><font size="2">また、彼は、ムスリムでしたが、ヒンドゥ教徒の妻を持ち、宗教統一の面でも努力していました。
</font></p>]]>
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