bangladesh de matu

カレダ・ジア

Begum Khaleda Zia。

名前の前についている、ビーガンは英語で「貴婦人」の意味ですが、要職についている人に、 つけられることが多いようです。

間違っても、ベーグンと読まないようにしなければなりません。というのも、ベンガル語でベーグンは 「なす」を意味するからです。

私も最初は英語知らなくて、ベーグンと読んでいました・・・・。

1945年、8月15日、ディナスプールのビジネスマン街に生まれています。おお、終戦の日ですね。

15歳のときには、ディナスプールの女学校に入学しますが、なんと同年、 夫となるジアウルラーマンと結婚。

早すぎますね?。
1981年、5月30日にジア(夫)は暗殺され、36歳のときに未亡人になってしまいます・・・・。

その後、ジアが立ち上げた、bangladesh nationalist party (BNP) は当時の党首が裁判沙汰になるなど、危機を迎えます

支持率が急低下したBNP、中心者たちは、なんとか勢いを取り戻そうと、策を練りました。

そこで、白羽の矢が当たったのが、妻である、カレダ・ジアだったのです。

ジアの名声や人気を相続できること、みた目の気品高さ、彼女に対する同情票などを利用して、 周りの人は、彼女をBNPの党首として見事、仕立て上げました。1984年、5月10日のことでした。

彼女はリーダーとして、7つの政党と連合を組み、当時の独裁政権に対抗し、 ついにBNPをNo,1政党として復活させ、1991年3月20日、バングラデシュ初の女性首相に選ばれました。

在任中は、初等教育の無償化、義務化、また10学年(16歳)までの女学生の無償教育化等、 特に教育の分野に力を入れてきました。

1996年まで首相を務め、その後、再び2001年から2007年まで首相。

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