佐渡移住推進課日記

いまさらですが3月11日成田被災の覚書

東日本大震災が起こってから、すっかり4ヶ月が過ぎましたが、振り返って自分が経験した震災当時のことを記録しておこうと思います。

前回、バングラデシュに戻ったときは、もう日本で生活することはないであろうと思っていたのですが、2年間過ごす中で、やはり四季というものを肌で感じながら育つということは、感性も育つし、何しろ、バングラデシュにいると、責任感がなくなるという危機感(これについては別途、機会があれば・・・)があり、息子が小学校入学の年齢になったので、先のことはあまり考えず、とりあえず日本で初等教育を受けさせようと思い、帰国の準備・・・は、数日前までほとんどやってましたが、運転免許をダッカで取得していた関係で、3月上旬に日本に戻ることにしました。

入学前の準備についての記録いくつか

ダッカでの運転免許取得の記録いくつか

ところが、実際に出発日に予定していた3月9日の数日前、娘は湿疹と熱で、私はちょっと具合が悪くなり、寝こんでしまったので、3月11日に日本に到着する便に設定、航空券を購入しました。

幸い、子供たちは飛行機の中でぐっすり寝てくれたのですが、私は場所が変わると、あまり眠れないので、いつものように疲れて11日、成田に到着。

入国手続を終え、銀行の前で両替をすべく待っていると、揺れを感じました。

最初はそれほど大きくなく、よく状況が把握できない感じでしたが、次第に、あれ?揺れてる?って感じになり、その後、程なく「きゃーー」という叫び声が上がり、私も安全をとって、子供たちの頭を抱え、姿勢を低くしました。

天井の照明などは大きく揺れていました。

その後、地震が収まって、銀行に並んで、両替を終え、高速バスに乗ろうとすると、窓口は閉まっていて、前にいた外国人の女性たちが「帰れると信じて」みたいな話をしていたので「あれ、今日チケットもう買えないの?」と不安に思いました。

ただ、この時点ではこの地震がこんなに大変な規模であったことは全くわからず、普通に町が機能していると思っていたのです。

しばらく待って、他の人が係員に話しているのを聞くと、「全員、外に避難しろという指示なので」ということで、安全が確認されるまで、しばらく外に避難しなければならないようで、バスが通るとしても、かなり遅い時間になるのではないかという印象を受けました。

30分ぐらいすると、アナウンスがあり、駐車場に避難してくださいという指示。

私はカートに30kgの荷物を2つぐらい載せていて、それを押しながら、2歳半の娘の手を引くというのは至難の業で、係員の人に荷物を運んでもらうようにお願いして、娘と息子を連れて皆さんと一緒に駐車場に向かいました。

荷物は非常に重く、駐車場までも段差がかなりあるので、空港関係者の方は、私のカートを3人ぐらいで運んでくれました。

外は少し寒く、30分ぐらいすると、毛布が配られました。

最初は子供たちや高齢者の方優先で。

その後も地震がかなり頻繁に続き、長い間、安全が確認できるまで、建物には入らないようにということでした。

そんな中でも、成田空港の屋上からビデオカメラなどを回して記録している一人の人の影は見えました。

どのぐらいたったか不明ですが、しばらくすると、トイレだけは行っていいですということで、周りの人に荷物の監視をお願いし(先方さんから言ってくださった)、子供をトイレに連れていきました。

トイレは長蛇の列・・・・

せっかく建物まで来たので、自分も行っておきたかった気持ちもありましたが、並ぶ勇気もないので、戻りました。

JALさんの機動力を駆使して、毛布はほとんどの人に配られ、私も妊婦なので腰に巻き、冷えを防ぎました。

夕方6時頃、やっと安全が確認されたということで、建物内に戻り、高速バスのチケットが買えるかもしれないので、チケット売り場の前にとりあえず戻ったのですが、福島行の便は当面不通と言われ、今日は帰れないことがわかったので、福島の実家に電話して、千葉の母親の妹さんのところに今日は行こうと思いました。

携帯電話の充電器が壊れていた関係で、ダッカ出発時にすでに充電切れだった日本の携帯電話が使えないので、公衆電話に並び、実家に連絡とってもらうようにお願いしました。

公衆電話も何度かけてもつながらず、大変でしたが、電話を何度かかけ直している間、空港関係者によって、水とリッツが配られました。

福島から千葉にかけるのもつながりにくく、やっとつながったと思ったら、停電だし、空港までの道路が閉鎖されているので、迎えにいくのはできないと言われ、今日、空港から脱出するのは絶望的であることがわかりました。

絶望的な気分になりながら、仕方がないのでJALのカウンター近くに陣取り、ビバークの準備。

とりあえず寒いので、近くのスタンドでホットミルクとスープを買ってくるけど、子供たちはおいしくないと飲食拒否。

道行く人がカップラーメンを持って歩いているので、息子がお腹すいた、ラーメン食べたいと大騒ぎ。コンビニは長蛇の列。娘もいるので、息子一人で並ばせた。

残念ながらラーメンは売り切れだったので、コアラのマーチを2つ買って息子と娘に食べさせました。

時間的には8時ぐらいだったでしょうか?

お昼は機内で食べたきりで、私もお腹がすいていましたが、お弁当なども当然無く、JALから頂いた毛布を敷いて、やっと落ち着いたところでした。

毛布だけでは冷えるので、段ボールをもうしばらくしてからいただき、やっと暖を取りました。

案内で後で、夜食を支給するということでしたが、全くその気配がないまま、10時を過ぎ・・・・

寝袋がいただけたので、助かりました。

空港だったからこそ、こうしたJALさんのご好意で毛布や寝袋がいただけましたが、バスに乗っていたり、電車に乗っていたりしていたならば、こんな事はなかったでしょう。

JALさんや空港関係者の方に本当に感謝しています。

さて、夜食なんですが、12時過ぎぐらいに放送があり、300食だったかが準備できたということです。

そのころ、私は、昨日機内で寝ていないこともあり、荷物も重かったり、妊婦ということで疲れきっていたので、1階から3階まで弁当を取りに行くのはかなり難しいことでした。

寝てしまいたかったのですが、息子がお腹が空いたと騒ぐので、お弁当は調達しなければなりません。

なのでJALのカウンターに行って申し訳ないですが、持ってきていただくわけにはいきませんかと聞くと、快く承諾していただけました。

ただ、他の方への配慮もあるので、もし聞かれたら自分で取りにいったと言ってください、と。

今思うと、大げさなんですが、事情を話しているうちに、涙が出てきてしまいました。

本当に感謝です。

そして程なく、何人かの年配のグループが近づいてきて、ダブってもらってきてしまったので、食べてください、と。

こんな状況なのに、ありがたい事です。

隣の関西弁の女性の方にさし上げて、4人で食べました。

しかし、いざ弁当が来ると、息子はすきじゃないとかいって食べません。

「今はそんな事言ってる場合じゃない!」と怒ると、隣のイタリアだったかに行って来られた関西弁の女性の方に「まあ、この年令だから、そういう事情が分れと言っても、無理やろなぁ。お母さんが言わなくちゃいけない状況であるのも分かるけど」と言われ、まあそうだよな、子供にしてみれば、今こんな大変な状況だといっても、自分には関係ないもんな。と思いました。

でもわかる子供もいるはずです。うちの息子はほんとに・・・苦笑

ご飯を無事にいただき、やっと眠りますが、まだまだ地震が続き、また大きな揺れがくるのではないかという恐怖でなかなか眠れません。

これが余震と知らなかったので、靴は履いたまま寝たりしていましたし、息子も「外に出る?」と心配したりしています。

娘と息子は無事に寝付きました。

朝、大きいモニターでニュースをやっているのをみたら、史上最大規模の地震だったと。

信じられませんでした。

映像は焼け野原を映し出していて、東北であんなにひどい津波がきていたとはまだ知りませんでした。

朝5時頃だったでしょうか。

そしてしばらくすると、コンビニに商品が入ったので、蕎麦やラーメンを調達し、ダンボール箱をテーブルにして食べさせました。

その様子を、携帯電話で知人に様子を話していた近くを通りかかった男性が「みんな毛布にくるまって、子供はダンボールをテーブルにしてラーメン食べてる。そんな感じ」みたいに話してました。

朝、高速バスのカウンターが開くのをまって、福島便の再開情報を待ちましたが、今日も明日も再開の見込みはないと言われました。

電車も走ってませんし、飛行機も・・・

3時ぐらいの時点でおじさんグループが来て、千葉のおばさんとも連絡取れないので、今日も成田かもといったらびっくりされてしまいました。

ちょうどそのころ、話し相手になってくれたとなりの関西弁の女性も寝てらっしゃたのですが、伊丹行の臨時便が出ることが分かり、あわてて起こして、チケットがとれたところでした。

今日も成田空港かもしれないと絶望的になりながら、実家に電話してみると、千葉のおばさんが夕方迎えに行くので、おいでと言ってくれていたようです。

福島の実家が停電で水もないということは、まだ知らず、それでもそんな中、こうして一生懸命おばさんと私たちのために連絡を取ってくれたことは本当に感謝でした。

周囲の人がみな成田空港を後にできることになり、掃除をして、お互いの検討を祈り、別れました。

夕方5時頃、やっと千葉行のJRが動き始めたので、重い荷物を運びながら、おばさんの家へ向かったのでした・・・

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