大崎の集落というのは、自分たちの食べるものがなくても年貢は収める。そんな場所だったそうです。
各集落には「郷蔵(ごうぐら)」といって年貢を集めておく蔵があったそうです。
年貢が集まってくる幕府の蔵は「お蔵」。
羽茂大崎から羽茂大石(以前相川と記述しましたが間違っていたので修正しました。2015/10/24)のお蔵まではかなりの距離で、しかも途中に急な坂の難所があった。
その頃の年貢の規格は70kg。
それだけの重さのものを、空腹では背負うのも難しい。
その坂の前に住んでいたおばあちゃんが、年貢を背負って行く人たちのために、ぼたもちを作って坂の入り口においていたそうです。
無事に難所を越えて年貢をおさめ、帰ってきた人々が、おばあちゃんのぼたもちのお陰で年貢を収められた。何か恩返ししたいと思って、その難所の足場を作るべく、1つずつ石をおいていったそうです。
ぼたもちのばあちゃんは社会性のある人で、かねてからこの難所を整備したいと思っていた。
都合よくぼたもちと交換のような形でみんな石を敷いて行ってくれるので、これはいいということでぼたもちを作り続けた。
いつしか道は石が敷き詰められ、整備された。
ぼたもち一つに石一つ。
それでこの道はぼたもち坂と名付けられたそうです。
涙涙のエピソードですね。
道は一段高くなっている場所がありここの石が当時の石のようです。そこを人間が通り、低いところは牛が通ったそうです。
満足にご飯も食べて元気な私達からするとそんなに急でもないじゃないと思ってしまったりしますが、当時どれだけ大変でしたでしょうか。
上からみた傾斜の感じです。
大崎の本が出ているようなのでもう少し調べてみたいと思いました。
ちなみにぼたもちのお祭りが毎年10月20日に必ず行われるそうです。
平日でも同じ日程。雨が降ってもやると言ってました。
大崎活性化センターの前といってました。
昔ながらの方法で作るんだそうですよ。
知らなかったので今年は行ってみようかと思います。
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※地図上の場所はおおよその目安です。