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シェーク・ハシナ

1947年9月28日、ダッカ・ディビジョン(行政区分:日本でいう地方に当たる?) 内のゴパルゴンジ・ディストリクト(県にあたる?)で、ムジブル・ラーマンの長女として生まれました。

彼女は、学生時代、大学生連盟の副連盟長に選ばれています。女性の地位が低 いこの国で、 そうした実績があるということは、かなりのカリスマ性等、あっ たのでしょう。しかも、最終学歴は、ダッカ大学。 学業も優秀であったようです。
 
その後、彼女は核化学者であるMA Wazed Miah博士と1968年に結婚しました。
 
1981年、アワミ連盟の党首に就任(それ以後、変わらず)。
 
1983年には、軍事独裁政治を行っていたエルシャド大統領に対抗して、15の政党をまとめ、政治連盟を結成。
 
1991年には、アワミ連盟は、2番目に大きな野党に成長しています。
 
1996年6月23日、バングラデシュの首相に就任。
 
1996年11月、インドとのガンジス河水共有条約締結、1997年12月、チッタゴン丘陵地域和平協定署名、食用穀物生産増加達成の成功、 多くの国々との相互の関係の改善、ジャムナ橋(ボンゴボンドゥジャムナ多目的橋と命名)の完成等、多くの功績を残し、 世界の各主要機関から表彰を受けています。
 
2001年10月1日に行われた第8の国会の選挙では、BNP(現与党)主導の4党連合が3分の2の議席を獲得し、退陣となりました。
 
が、首相を退いた今でも、現首相に対抗して、日々激しい攻防戦を繰り広げています。

2011年2月追記:現在バングラデシュ首相

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